技法は全て筆とエアブラシのみにこだわり、
コンピューターは一切使用しないスタイルで、
魅惑の世界を常に描き続ける作家もとのりゆき。



1949年、福島県に生まれる。

20歳の頃、両親のハワイへの移住をきっかけに、もと自身もハワイと東京を往復する生活を送る。そこで培われた独創的な色彩感覚こそが、もと作品の圧倒的な魅力になっている。
ファッション美術学校として知られるセツモードセミナー、またアカデミーデザイン学院を経て自らのアニメーションに対する執着の中で独自の表現方法を身につけてゆく。
月刊誌等の表紙イラストをレギュラー制作し、人気を得て出版関連の仕事が急増する。

かの漫画家バロン吉元氏への弟子入り後(ペンネームはバロン吉元氏より元[もと]を頂いて、もとのりゆきとして活動している)、アクション漫画をはじめSFアートにも絶大な興味を抱き、週刊少年ジャンプの挿絵を数多く制作。
週刊少年ジャンプにSF未来予測画などを毎週掲載したり、多数の個展の開催により、手塚治虫氏より画力を認められ、直接電話をいただき、手塚治虫氏制作メンバーに勧誘される。これにより、映画、アニメの制作の重要メンバーとして参加することになる。
映画「火の鳥」では原点ともなるアニメーションの背景イメージボード多数の制作・設定の重要メンバーとして参加する。

その後は手塚作品に限らず、「あしたのジョー」、「宇宙戦艦ヤマト」、「幻魔大戦」などのアニメーション制作の“イメージ出し”、背景イメージボードやポスター制作などに数多く携わる。さらに「イース」などのゲームにも活動の場を広げ、パッケージイラストの制作をしたほか、一般書籍や雑誌の表紙制作も数多くこなす。

活動の場はさらに広がり、「瀬戸大橋開通記念イベントポスター」の制作や、「大阪ドーム」のキャラクターデザイン、山梨県明野村におけるテーマパーク計画の全体の設定とパース、美術全般にわたり携わる。(ただしこれについては、途中でバブルがはじけて、計画が残念ながら流れてしまう)

代々木アニメーション学院、デジタルエンタテインメントアカデミーなどの専門学校に15年間講師として在籍し、のべ1800名以上の生徒を送り出す。
毎年、講師の人気ランキングでは常に上位を獲得し、たくさんの学生から支持を受け、現在も卒業生との関係は続く。

近年では、ジグソーパズルの原画を制作し、千葉幕張メッセでの「東京おもちゃショー」に3年連続出展、人気を博す。

また、クリスチャン・ラッセン氏を日本でデビューさせたプロデューサーに才能を見いだされて、海外にも進出。海外では特にフランスでの売上が一番多い。目の肥えたフランス人も、もと作品の繊細なタッチと色遣いを高く評価。
ニューヨークエキスポへ〝光る絵画〟を発表し、絶大な人気を得る ウォルトディズニー社も注目を寄せた。その中の作品の1つの「ミコノスファンタジー」を、元アメリカ大統領クリントン氏も所蔵。


化粧品メーカー「株式会社サニープレイス」のシャンプーボトルイラストデザインを担当し、世界初の〝シャンプーボトル×絵画〟のコラボレーションを果たす。

現在も、全国展示会(ライブ)を毎年開催し、全国を駆け巡っている。
全国展示会(ライブ)にて受注を受けた完全オーダーメイド原画は、500点以上に上り、その全てのお客様の希望を叶え続けている。

でも活躍中。